Chapter II was opened...
by BURZER
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Deathspell Omega Interview (前半)
どうも音源のレビューに終始され、そしてあっさり片付けられてしまっているブラックメタルのバンド達。まぁ、音源の聴き方なんて各々の勝手だし、読む/聴く(?) にしても大半は中身の無いHail Satan/Anti-Christ連呼バンドであって、音源のみのレビューにも一理あるのは承知の上。だが、なかなか鋭く、あるいは強いメッセージ性を我々に送るバンドまでもが表面上だけで語られ、同じように処理されてしまうのは如何なものかと思うわけだ。
こう言うと「押し付けだ」という輩がすぐに登場して呆れてしまう。確かに、自分と価値観が全く異なる人に対しては押し付けがましい”ニュアンス”が出ているように感じることだろう。しかし読んだ後に各々どう考え、判断するのかについてまで拘束するものではない以上、変な勘違いは勘弁して欲しいものである。さておき、今回は、違った視点の存在を知る「きっかけ」になることを老婆心ながら願いつつ翻訳/公開に踏み切った。ご拝見あれ。/変な勘違いヤローは読む以前にとっととご退去下さい。Simply Fxxk Off!!
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Deathspell Omegaの初期の音源が最近再発されていますね。このような経過をご決断なされたのは何故なのでしょうか? また、これらのCDは限定盤としての再発なのでしょうか? MoonbloodやMutiilationとのsplit音源も再発されるのでしょうか?>

A.M.S.G.(以下名称略)>
b0049940_19184775.jpg内的要因と外的要因の双方がこのような決断に導いたのさ。初めの考えでは、限られた者の間で作品をリリースしていれさえすれば、全ての日常世界を避け、そして我々が関与するBlack Metalを急速に普及させずにすむことができると考えていた。”初めは”それで上手く機能していたんだ。しかし、それから徐々に、我々が真に主張していたことよりもむしろ我々の限られた「世界」の方に焦点を置くという、我々の見地に対する理解が欠如している見当違いな多くの人々を目の当たりしてからその思索の無意味さに気づかされた。作品の存在意義を奪われてしまったも同然な状況になじむことはできなかったし、耐えることができなかった。(“責任”という語がここではキーワードとなるだろう)
再発盤は限定盤としてリリースされることはないだろう。自分自身を猛獣の吐息の前に置いてあの世へ行きたい多くの人々の為にね。我々の古い作品は君が言及したものも含め全て再発されるだろう。

再発されたCDの歌詞は殆ど消されていますよね。この経緯を説明して頂けますか?>

初期の形態は溺れていたとでも言おうか、無益な話を長々と語っていたんだ。これらの歌詞は神聖で複雑なものに対する崇拝のありのままの感情について書いていた。歌詞を削除したのは読み手の精神を閃光のごとく、関連するイメージと概念を脳裏に呼び起こし、作品のメインテーマに集中させるようにしたかったからさ。現在の形態は基本的に本質を抜粋した形になっている。

また新たなロゴが登場していますが、これはこのバンドが進化した新たな側面の現れなのでしょうか?>

その通りだ。アルバム-"Si Monumentum Requires, Circumspice"と平行して思いついたロゴであり、単なるグラフィック処理以上に我々のイメージを明確に具現化している。もしもロゴが再発盤リリースの前に出来上がっていたら、すぐに使われることになっていただろう。

"Si Monumentum Requires, Circumspice"は過去全てのDsOの作品と比して驚異的な変化を遂げた作品に仕上がっていますよね。この点について何か言及することがありますか?作詞方法の変化と共に音楽表現も並行して変化したとみてよいのでしょうか?>

我々は曲と詞が分離したものとしては把握していない。我々にとって、それらは互いに深く関連しあい、補完しあっているものだ。1つの側面の進化は必然的にもう1つの側面の進化を意味するのであって、そして、視覚的側面の進化についても同じく明らかにあてはまる。なぜなら、これらの感情表現のでどころは同じであり、控えめに言うと、起源は全てを取り巻く現象からくるものであるからだ。

“SMRC”より前のDeathspell Omegaの作品全て自体ほんの2年リリースされたのが早いだけであって、たとえそれらが最初に制作したDemoよりもすぐれた「種」として長く存在していたとしても、最終的な形を与えられた際の作品の背後にある衝動は各々かなり近いものがあるということを君は覚えておくべきだ。ということで、全ての音源は悪魔的観点から得たエネルギーの最後の一滴まで振絞ってできあがったものとして、交互性を有するのなのさ。

“SMRC”は驚くべきものとして皆の前に表れたかもしれないけれども、それは極度の論理的変遷を遂げた、すなわち、我々の超自然的葛藤が高次元まで上り詰めた結果として導き出された新たな表現(方法)を採用しているだけでしかない。

このような悟り/葛藤の次元の無限性を念頭においたとき、君はこの芸術的創作物の具体的な言葉を理解することができるだろう。

この新譜は聴き通す長さとしてみましても、とてつもなく長いですよね。このことが聴き手を躊躇させるであろうとお思いですか?>

初めは、この作品はDLPとして考えられていた。それぞれ3つの章は「Prayer」で始まるという具合にね。2枚組みにして音源を分離することでおそらく、CD盤よりもこの世界観に入り込みやすくなるのだろうが、消費者のためにわざわざ親切に必要とされる形に直して芸術作品をリリースするという見地には全く反対だ。ダンテがかつて書き記していたように、”真の芸術は惨いというのは自明の理である”ということさ。(深読みしないでくれ。まず、これらの意味深な言葉の暗示についてしばらく考えてくれ。) その言葉は今日何が”芸術”として分類されているのかについて多くのことを語っているんじゃないか?

君は、我々が心から好まないものを生み出すことがどれだけ苦痛であるのか想像できないだろう。もしも聴き手が、我々が経てきたこの苦悶を感じ取ることができず、長期間それに焦点をあてられないままであるならば、とても気楽なものではないし、この作品は失敗作だったということになるだろう。

"Si Monumentum Requires, Circumspice"は三部作のうちの一つであると言われていますね。この第一章は長く、そしてとても意味深です。他の章もこれと同じくらい濃い内容となっているのでしょうか?曲の方も同じように長いのか、それとも今作同様劇的に変化しているのでしょうか?>

我々が”SMRC”を考え、生み出すまで2年以上もの月日を要した。もしも我々が、君が言ったように三部作のうちの一つでしかないこのアルバムの全ての概要を話すならば、3年くらいの月日を要するだろう。曲を書き留める前に、歌詞となる概念の胎児的構造が鮮明に表れなければならない。なぜならば、我々の知的概念世界間における悟り活動の起源-むしろ言う義務があるとでも言おうか-が第一次であって、知覚的要素は第二次的なものであるからだ。勿論この初期構造は実際の作業過程において台無しになったり、質を向上させたりして成長していくはずである。しかし、これは音楽を後ほど肉付けしていく際の始点なのさ。このインタビューの瞬間に、表面的かもしれないが、しかし極めて密度の濃いこれらの言葉は三部作-第二章の混沌とした「骨格」として使うことができるし、また幾つかの「種」は第三章にも実際に利用することができる。悟りによって得られた多くの規律は我々が作曲作業を始めることができるようになるまで形付ける必要があるのだけれども、幾つかの下書き素材は現に試されている最中であり、満足がいくと判明したパターンもあるが、全く満足できないものは躊躇無く捨て去っているよ。

君は想像できているかもしれないが、我々はさらに上位の神学的で不確実な次元に突入するであろう。その結果、恍惚した精神的苦悶は再び全く異なったものとして形付けられてくるかもしれない。予測するには早すぎるかもしれないが、数年で第二章を完結させることはできないだろう。(:Kenoseは第二章ではないようだ) 全ての知的衝動に対して「音楽」というものは下位に位置しているように見えるだろうが、Black Metalというジャンルはなにもとるべき形がたった一つに限られるわけではないのさ。

"Si Monumentum Requires, Circumspice"は翻訳すると、”汝が彼の遺跡を捜し求めるならば、汝の周りを見渡せ”になると思うのですが、ジャケットカバーと関連付けながらこのタイトルについて説明して頂けますか?バンドメンバーがこのジャケットをデザインしたのでしょうか?>

b0049940_19205913.jpgジャケットは我々の指図に従ってある才能ある芸術家が描いたものだ。他の者が書いたものではDeathspell Omegaという(芸術性ある)バンドに結びつくことはできない。制限的で合理的な分析によってジャケットの形而上的価値観を奪い去るつもりはないが、全てタイトルと関連してはいるよ。ロゴのところで述べたこと、真実にある程度近づくために提供した難解な言葉と我々の信念につき言及した内容。そして、現実上のよりどころと全ての人間が実際に経験したことがあるであろう世界における「適用性」についてもそうだ。ただ、これだけは覚えておくといい:”我々を灯す光は我々を盲目的にさせるものとも全く同じものである”

"Si Monumentum Requires, Circumspice"の最初の詞は”O Satan/ああ サタンよ”で始まりますよね。でしゃばらせて頂きますと、これは全くあなたの意図的な決断に基づいた詞ではないですか?>

確かに。オープニング明けの最初の言葉は、暗黙の了解であるが、言語(“動詞”)の威信に基づく陳述である。より明確に言うのであれば人間的表現に基づいており、それこそがまさに、人が理解しようと試みる、あるいはdeus ignotusにむけて知的接触を試みる際にまとわりつく足枷の起源なのさ。

我々の現実的な野望は、いまでも謙虚でい続けているわけだけれども、本気で「サタン」に知的接触を試みるとであるともう一度強調しておく。哲学的な実在としての「サタン」というわけであるが、これは声高く十分説明することはできない。サタンに関する他の全ての解釈は知的論拠が抽象的で不明確であるからだ。皆は単なる語源的な議論あるいは、これはより最悪なのだが、視野の狭い、少ない知力に基づく合理的思考では「サタン」を確定的なものとして捉えることはできず、最も危険な事柄である哲学的な現象の断片だけを捉えてしまうということをよく認識する必要がある。これは”真理”だ。

CDのブックレット内のイメージ写真には集団虐殺,エロス,犯罪現場の写真,キリスト教の図解書といった興味深いものが混ぜて用いられていますよね。こういったテーマのものを混ぜて用いているのを見るのは初めてではありません(Funeral Mistが例として思いつきます)。これらの写真を選んだ理由を説明して頂けますか?>

b0049940_19244213.jpg“SMRC”の歌詞は明らかに人間について論じている。その生物圏/生態環、そしてサタンに対して内在的に有する驚くべき力と人間の活動・視点・ついには人間の最終的な在り方を取り返しのつかない程度に影響を及ぼしてしまう「輝き」との相互作用。さらにはこれを精神内で生み出すこと、これらは君が述べたように”興味深いものを(適当に)混ぜて用いて”いるわけではない。b0049940_19251972.jpgむしろ、我々が述べている神学的陳述を明確に象徴している写真をごく少数選び抜いたというだけさ。君の疑問はそれらの写真における関連性の不連続をほのめかしているが、実際上、近接する現象のほんの一側面の違いでしかなく、お互い強く関連し合っている。鬱血した手と治った手は結局のところ同じ「手」ということだ。

ちょっと前に話が戻りますが、Clandestine BlazeそしてMutiilationとのSplit音源はアートワークという点ではあなたの厳格な理想からより劣っているように思えますが、今思うとこれらは”残念な出来”としてお考えなのですか?>

b0049940_19261423.jpgこの点についてはGerge Batailleのエッセイを引用させてくれ。”急かせる欲望、あるいは苛々し続ける発作状況のイメージというものはしばしば両意に取ることができるものである。Louche: これらのイメージが恐怖あるいは死になるにせよ、それらはいつも狡猾なものとして現存することになる。Sadeの領域においてさえも、死という恐ろしき刃は、私欲が仲間・犠牲者、そして”他の者”に向けられることで反り曲がってしまう。矛盾しているが、Sadeはもう一方で大いに愉快な「人の表現」というものを示してもいるのである。”

これはそれらのアートワークについて理解するためのキーワードとなり、これ以上の言葉はもはや不要だ。

b0049940_19271593.jpg一般に、芸術美を”サタニック”と捉えることができるという点に誤解が存在する。思えば、誤解の発端は初期に広く蔓延したサタニズム自体(ほとんどいつも、原始的で素朴という点でその”神聖な”構成を否定している)にあるようだが、何も驚くべきことではない。

Deathspell Omegaは精神(ないし力)の集合的実在なのでありましょうか、バンドメンバー/個人というものを拝見することができません。なぜこのような方法を採っているのでしょうか?この確固たる姿勢は今後も続くのでしょうか? そしてこれは同時にLiveをやることはあり得ないということを意味しますが・・・合っていますか?>

最初に、我々は人間が重要であると考えている「幻想」に労力を払うことを完全に避けたいし、Warholが見事にしてのけたように、それらを欲する者をこの”15分間の名声”に夢中にさせたいんだ。人間の理解能力には多くの制限があるにも拘らず、我々が (「サタン」を) 理解しようと試み、そしてあえて賛美することに関しては我々という人格は無関係である。言えるのは、我々は哲学的レベルにおいて多くの人々よりも勿論優れた存在であるということ。結局のところそれは、我々が芸術的、あるいは知的衝動がどれ程我々の内側から出てくるのかを明確に答えることが出来ないと正直に考えているからでもあろう。例えるなら、” Si Monumentum Requires, Circumspice"は「我々だからこそ」というよりも、「我々でさえ」思いつくことができたという具合に。このような不可解で無限性ある起源の模索に対して子供の父系(作曲者)を説いていくことは、たとえ-少なくとも-楽器のクレジットを残すにしても、本当に無意味なことであろう。(“我は汝の前に屈辱にて下落するであろう-そして汝の定めとあれば人の前に上る”)

君は正しいよ。Deathspell Omegaが説くことは制限され、純粋な知覚上の環境において理解されることはないから、我々はLiveをすることはふさわしくないと考えている。

Deathspell Omegaは私が知るところだとたった2回インタビュー上に姿を出しただけです。なぜこのように秘密状態を貫くのか、そして今回ベールを脱いで下さったのでしょうか?あなたはある程度人々が(DsOを)支持してくれているということに気が付いていますか?今までのように”文面世界”でしか接触することはできないのでしょうか?>

我々は匿名者として存在する必要性に帰着し、公の交流場所に対しては両価的な立場をとっている。まず、我々は単純に制作作業過程から公の交流場所を締め出している。つまりは、我々は(悟りのために)自分自身を自分自身にもう一度適合させなければならず、公の交流場所というものは(哲学的考察の)進展が”重大な”段階に達したときに初めて必要となるんだ。

覚えておくといい。Lutherが聖書を自国語に翻訳し、またそうすることによって広く神聖な言葉に接する機会を与えたが、低俗な民衆だったが故に、彼はすぐにかつて誰も自由に解釈することができなかった重大な教養的背景の解釈文を序文として付け加えなければならなかった。我々の場合、インタビューというものは、心から筋の通った解釈に興味を抱く人々に対する合図になるとともに、表現することができなかった、あるいはLPやCDのブックレット上では明らかにできなかったであろう付加的な概念を人目に晒す方法として機能するのさ。

大衆の支持については、売り上げ枚数にとても驚いたということ以外はよく把握していないな。そういった人々は(哲学的なものとは関係の無い)他の議論をしたいがためという誤った理由でアルバムを買ったんだろう。

>>> 後編に続く<<< 

Original Copyright reserved by AJNA
Copyright of Translation reserved by BURZER

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by BURZER | 2005-10-17 13:29 | 番外(Metal)
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