Chapter II was opened...
by BURZER
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Clandestine Blaze / Deliverers Of Faith
アルバムレビューを行なうわけではないのでご安心を。このアルバムも目下のところ、音楽としての側面しか焦点が当てられないので、代わりに自分が深く抉り出すことで、このアルバムに精神的な”重み”を付け加えたいと思う。ジャケットを手にとって頂いた上、参考資料的な視点でご覧頂きたい。
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Ian Brady

1938年スラム街でウェイトレスの子として生誕。人物像を先に言ってしまうと、イギリスの犯罪史上に名を連ねる極悪殺人者である。
b0049940_8231670.jpg幼いころから犯罪に手を染め、刑務所に入れられたこともあるが、21歳の時に社会復帰を果たす。しかしながら、終始孤独に育った彼はナチスに魅せられ、ヒトラー/我が闘争やマルキ・ド・サドの著書に没頭するようになる。
23歳の頃パートナーのMyra Hindley(共犯者)に出会い彼女を洗脳。「神などは存在せず、道徳は社会的構築物でしかない。現実にあるのは肉体の快楽だけであり、故に自分の快楽のために他人を苦しめるのは自分の自由である。」という信念に基づき、またそれを証明するために、10代の少年少女を計5人拷問した後に殺害。
完全犯罪的な手口で行なっていたが、仲間を増やそうと、某人の前で例によって殺人を実演したが、この某人が警察に通報した事で事件が発覚。10歳の少年の拷問から殺害までを録音したテープが決定的な証拠となり終身刑。(イギリスに死刑は無い)

John Wayne Gacy

1942年・シカゴ生まれでカトリック教徒。”Killer Clown”としてアメリカの犯罪史に名を残す悪名高い人物。
b0049940_8174811.jpg幼い頃は父親のアルコール依存と暴力を受ける日々が続き、それにより学校を退学するなど恵まれない環境にありながら、学校に入りなおして経営学を身に付け、結婚も果たす。子供に恵まれ、仕事も順調で社会貢献にも励み、人目からは文句のつけようのない生活を送っていたが、職場でアルバイトしていた10代の少年複数人をレイプしたことで10年の実刑を言い渡される。これにより、家庭は崩壊し、一気に奈落に落ちたかと思えたが、模範囚としてわずか18ヶ月で出所。
出所してからもポゴという名のピエロに瀕して孤児院等を慰問する・カーター大統領夫人と写真撮影する等して社会貢献に勤しみ、それを買われて地域委員会の財務担当書記官にも抜擢され、さらには再婚も果たし、見事にその人生設計を建て直した。
b0049940_8201883.jpgしかし、裏の顔は鬼畜以外の何者でもなく、警察の格好・会社で雇ってやる等巧みな口実、ときには薬品で眠らせて10代の少年(9歳の少年含む/のみ)を自宅に連れ込み、性的暴行・暴力を加えたのち絞殺。その数計33人(注:殺人だけでこの人数/殺されずレイプされた者も他に多数存在する)。28人は自宅の床に埋めていたが残りは埋める場所が無くなったという理由で川に投棄。床下から出てくる腐乱臭が原因で事件が発覚したものの、被害者はまだこれ以上に上るのではないかとも言われている。当然死刑判決が下り、94年薬物注射により死刑執行。

Timothy McVeigh

b0049940_815537.jpg1968年ニューヨーク生まれ・熱心なカトリック教徒の家庭で育ったが、彼自身は”神”の存在を抱いている点は公言しているが、詳細については話していない。(イギリスの新聞紙によれば彼は不可知論者であることを手紙で語っていたとのこと)
10歳の頃に両親の離婚を経験してはいるが、幼少年時代は礼儀正しく、前科もない健全な少年であった。ただ、人間関係のやりとりが苦手で、周りからはシャイと思われていた。女性には見向きもせずに、サバイバル(友人と共同で土地を購入)や銃に異様なほど熱中する。その後軍に優秀な成績で入隊し、銃撃面においては様々な勲章を授与されるもグリーンベレーの試験に落ちたため91年に除隊し、安月給なガードマンの職に就く。が、このあたりからアメリカのおかれている状況、そしてなによりもアメリカ政府に対する不満が募り始め、95年4月19日、連邦政府のビルの前に2,300kgの爆薬を積んだトラックを止め、テロ(爆発)を敢行。(“見返りの代償”と自ら呼ぶ) 死者168人(内子供19人・消防隊員1人)、負傷者800人、近隣ビル300棟を損壊。”オクラホマ・爆弾テロ事件”として全世界に衝撃が走った。
第一級殺人他11訴因で起訴され、すべてにおいて有罪判決-死刑が下る。そして2001年、薬物注射により刑執行(当時33歳)。

Veikko “Jammu” Siltavuori

1926/1927生。フィンランド国内においては「神が例え許したとしても、教会は彼を拒絶する / 彼から損害賠償やお詫びの言葉は要らない。欲しいのは彼の死刑のみだ」というぐらい憎まれていた人物なのだが、その情報は極端に少ない。
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1989年、ヘルシンキ郊外で8歳の少女二人を車に乗せ、強姦した後に殺害。遺体を燃やして埋葬した罪で逮捕・起訴された。
終身刑(釈放無し)が通常のところであったが、彼の心神耗弱が認められ15年の懲役刑(釈放有り)が下った。最高裁判所にて、当該事件に関しては懲役に10年以上服した後で釈放するのが妥当する旨の判決が下り終審。服役11年目に行なった3度目の仮釈放請求が通るも、自由がかなり制限された下での仮釈放であり、晩年も精神病院で過ごした。

Albert Fish

1870年・ワシントンDC生。”Moon Maniac”・”Gray Man”・”Werewolf Wystera”・”Brooklyn Vampire”という数々の異名を持つ精神異常人。
b0049940_653418.jpg5歳の頃に親を失い孤児院で幼少期を過ごしたが、28歳の頃に結婚して6人の子供に恵まれ、可愛がった。また、物静かで敬虔なクリスチャンでもあり、外部的には模範的な人物として映っていたが、妻に逃げられて放浪するようになってから精神異常性が顕著になり始める。
まず、汚物を食し、自己の性器に何本も釘を打ち込み、肛門にオイルを染み込ませた綿を詰め込んで着火したりするマゾヒストの一面。
しかしもう一方でサディストの一面を有し、恵まれない家庭の児童を中心に攫っては、拷問具を用いて暴行・殺害。食べるために殺された児童もおり、「子供の肉を柔らかくする為、子供達を縛り挙げ、半分に切られた釘が打ち込んであるベルトで子供達を鞭打ちした」とも後に語っている。アメリカ全土を放浪していた23年間で400人の子供を殺したという供述をしているが、16人殺害していることは間違いない。
b0049940_663517.jpg犯行が発覚することになった、彼の犯行一連の過程も極めて異常。新聞の仕事募集広告を見た彼は、その広告を出していた18歳の少年宅を訪問。そこで一緒に暮らしていた10歳の少女に目をつけると、両親を信頼させ、パーティーに連れて行くという名目で誘拐。少女が帰宅することはなかった。そんな日から6年経過後、少女の両親に、少女の殺害状況や、「細かく切り刻んだ上、オーブンで焼いて食べた / お嬢さんは処女のまま死にました」という手紙を送りつけたことがきっかけで逮捕された。
殺害は神の意思である等とも供述していて、精神異常性を弁護側が強く訴えたが死刑判決が下る。1936年電気椅子により刑執行。

Klaus Barbie

b0049940_8231340.jpg1913年・ドイツ生。
1933年・第一次世界大戦中父親を亡くした彼は、大学にいけなかった代わりにSS(親衛隊/ 階級は中級)に参加し、そこで調査・尋問能力等を培う。
1942年にGestapo(IV/秘密警察)の隊長としてユダヤ人の移民先となっていたフランス・リヨンに派遣され、”リヨンの虐殺者”という異名を得るほどの残虐/犯罪行為の限りを尽くした。
Izieu に隠れていた3歳~13歳の41人のユダヤ人を、運送中に逃げようとすれば目耳鼻から血が流れ出るほど暴行し、後にアウシュビッツ収容所に送り込んだ上、毒ガスで殺害した(書面にサイン)のはかなり有名。他にも反逆者、その周辺者を次々に拷問・殺害し、死者は数千にも上る。
b0049940_8321488.jpg第二次世界大戦終了後はその能力をイギリス・アメリカに買われて保護され、55年までは諜報部員として活動するも、その後はボリビアに逃亡して麻薬の密売を行なって生きていた。83年に当局によって逮捕され、87年に裁判が始まったが、異例にも、この裁判の映像記録が残されることになった。左翼的な弁護士の力強いサポートを経て”人道に対する罪”の罪状が争われたが、結局終身刑が下り、77歳・ガンにより刑務所の中で死去した。

Marc Dutroux

1956年生。ベルギーの犯罪史上に名を残す極悪犯罪人。
71年に両親が別居し、母方についたが16歳のときに母元からも離れ売春斡旋営業を行なっていた。その後は車の窃盗・麻薬の密売で逮捕・起訴されて実刑(13年6ヶ月)が下ったが模範囚として3年で出所。しかし、中身は全く改心しておらず、その後は政府の扶養手当を得つつ、複数の家を用い、中には地下に幽閉所を造り残虐な犯罪を後に行なった。
b0049940_23572467.jpgまずは、8歳の少女2人を誘拐しビデオ撮影しながら数度強姦。この二人の少女は後に餓死。次に17歳と19歳の少女を共犯者と共に誘拐したが幽閉所がいっぱいであったため、違う家にてベッドに縛りつけ殺害。(死因は餓死/この共犯者も死体で発見されたため、殺人の嫌疑が同じくかけられるも本人は否認) 窃盗の容疑で家宅捜索を受けたりもしたが、そのまま犯行を継続(12歳の少女を誘拐)。しかし、14歳の少女を誘拐した際の目撃証言がきっかけで逮捕されたが、彼の証言を得るまでこの幽閉所の存在に警察も気づかなかった。(12歳・14歳の少女は無事生還)
2004年に裁判開始。殺人・殺人未遂・誘拐・誘拐未遂・窃盗・強姦罪の訴因で起訴され、全ての罪が認められるもベルギーでは1996年に死刑制度が廃止されたため、終身刑が言い渡されることになった。

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by BURZER | 2006-06-08 08:11 | 番外(Metal)
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