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Chapter II was opened...
by BURZER
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BURZUM-Stemmen fra tarnet
またブートと思わしきブツが登場したようだ。ここ2年の内でBURZUM関連のブート、自分が確認しているだけで7枚で、これ入れて8枚目になる。
音源内容は重なりまくりで、DVD-Videoクリップ面で各々差別化しようとしているみたいだけれども、こんだけりリースすればそっちも被りまくっているわけで。。。

とりあえず、まだ手に入れてない人にとっては嬉しいニュースなのかな。収録音源はもはやお約束ともいえるDEMO&未発表音源。DVDの方はDunkelheit-VIDEOとノルウェーのTV報道。

BURZUM-Stemmen fra tarnet_b0049940_0574755.jpg
Label:Northern Twilight

# by BURZER | 2006-06-12 03:02 | News
Clandestine Blaze / Deliverers Of Faith
アルバムレビューを行なうわけではないのでご安心を。このアルバムも目下のところ、音楽としての側面しか焦点が当てられないので、代わりに自分が深く抉り出すことで、このアルバムに精神的な”重み”を付け加えたいと思う。ジャケットを手にとって頂いた上、参考資料的な視点でご覧頂きたい。
Clandestine Blaze / Deliverers Of Faith_b0049940_8352932.jpg

Ian Brady

1938年スラム街でウェイトレスの子として生誕。人物像を先に言ってしまうと、イギリスの犯罪史上に名を連ねる極悪殺人者である。
Clandestine Blaze / Deliverers Of Faith_b0049940_8231670.jpg幼いころから犯罪に手を染め、刑務所に入れられたこともあるが、21歳の時に社会復帰を果たす。しかしながら、終始孤独に育った彼はナチスに魅せられ、ヒトラー/我が闘争やマルキ・ド・サドの著書に没頭するようになる。
23歳の頃パートナーのMyra Hindley(共犯者)に出会い彼女を洗脳。「神などは存在せず、道徳は社会的構築物でしかない。現実にあるのは肉体の快楽だけであり、故に自分の快楽のために他人を苦しめるのは自分の自由である。」という信念に基づき、またそれを証明するために、10代の少年少女を計5人拷問した後に殺害。
完全犯罪的な手口で行なっていたが、仲間を増やそうと、某人の前で例によって殺人を実演したが、この某人が警察に通報した事で事件が発覚。10歳の少年の拷問から殺害までを録音したテープが決定的な証拠となり終身刑。(イギリスに死刑は無い)

John Wayne Gacy

1942年・シカゴ生まれでカトリック教徒。”Killer Clown”としてアメリカの犯罪史に名を残す悪名高い人物。
Clandestine Blaze / Deliverers Of Faith_b0049940_8174811.jpg幼い頃は父親のアルコール依存と暴力を受ける日々が続き、それにより学校を退学するなど恵まれない環境にありながら、学校に入りなおして経営学を身に付け、結婚も果たす。子供に恵まれ、仕事も順調で社会貢献にも励み、人目からは文句のつけようのない生活を送っていたが、職場でアルバイトしていた10代の少年複数人をレイプしたことで10年の実刑を言い渡される。これにより、家庭は崩壊し、一気に奈落に落ちたかと思えたが、模範囚としてわずか18ヶ月で出所。
出所してからもポゴという名のピエロに瀕して孤児院等を慰問する・カーター大統領夫人と写真撮影する等して社会貢献に勤しみ、それを買われて地域委員会の財務担当書記官にも抜擢され、さらには再婚も果たし、見事にその人生設計を建て直した。
Clandestine Blaze / Deliverers Of Faith_b0049940_8201883.jpgしかし、裏の顔は鬼畜以外の何者でもなく、警察の格好・会社で雇ってやる等巧みな口実、ときには薬品で眠らせて10代の少年(9歳の少年含む/のみ)を自宅に連れ込み、性的暴行・暴力を加えたのち絞殺。その数計33人(注:殺人だけでこの人数/殺されずレイプされた者も他に多数存在する)。28人は自宅の床に埋めていたが残りは埋める場所が無くなったという理由で川に投棄。床下から出てくる腐乱臭が原因で事件が発覚したものの、被害者はまだこれ以上に上るのではないかとも言われている。当然死刑判決が下り、94年薬物注射により死刑執行。

Timothy McVeigh

Clandestine Blaze / Deliverers Of Faith_b0049940_815537.jpg1968年ニューヨーク生まれ・熱心なカトリック教徒の家庭で育ったが、彼自身は”神”の存在を抱いている点は公言しているが、詳細については話していない。(イギリスの新聞紙によれば彼は不可知論者であることを手紙で語っていたとのこと)
10歳の頃に両親の離婚を経験してはいるが、幼少年時代は礼儀正しく、前科もない健全な少年であった。ただ、人間関係のやりとりが苦手で、周りからはシャイと思われていた。女性には見向きもせずに、サバイバル(友人と共同で土地を購入)や銃に異様なほど熱中する。その後軍に優秀な成績で入隊し、銃撃面においては様々な勲章を授与されるもグリーンベレーの試験に落ちたため91年に除隊し、安月給なガードマンの職に就く。が、このあたりからアメリカのおかれている状況、そしてなによりもアメリカ政府に対する不満が募り始め、95年4月19日、連邦政府のビルの前に2,300kgの爆薬を積んだトラックを止め、テロ(爆発)を敢行。(“見返りの代償”と自ら呼ぶ) 死者168人(内子供19人・消防隊員1人)、負傷者800人、近隣ビル300棟を損壊。”オクラホマ・爆弾テロ事件”として全世界に衝撃が走った。
第一級殺人他11訴因で起訴され、すべてにおいて有罪判決-死刑が下る。そして2001年、薬物注射により刑執行(当時33歳)。

Veikko “Jammu” Siltavuori

1926/1927生。フィンランド国内においては「神が例え許したとしても、教会は彼を拒絶する / 彼から損害賠償やお詫びの言葉は要らない。欲しいのは彼の死刑のみだ」というぐらい憎まれていた人物なのだが、その情報は極端に少ない。
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1989年、ヘルシンキ郊外で8歳の少女二人を車に乗せ、強姦した後に殺害。遺体を燃やして埋葬した罪で逮捕・起訴された。
終身刑(釈放無し)が通常のところであったが、彼の心神耗弱が認められ15年の懲役刑(釈放有り)が下った。最高裁判所にて、当該事件に関しては懲役に10年以上服した後で釈放するのが妥当する旨の判決が下り終審。服役11年目に行なった3度目の仮釈放請求が通るも、自由がかなり制限された下での仮釈放であり、晩年も精神病院で過ごした。

Albert Fish

1870年・ワシントンDC生。”Moon Maniac”・”Gray Man”・”Werewolf Wystera”・”Brooklyn Vampire”という数々の異名を持つ精神異常人。
Clandestine Blaze / Deliverers Of Faith_b0049940_653418.jpg5歳の頃に親を失い孤児院で幼少期を過ごしたが、28歳の頃に結婚して6人の子供に恵まれ、可愛がった。また、物静かで敬虔なクリスチャンでもあり、外部的には模範的な人物として映っていたが、妻に逃げられて放浪するようになってから精神異常性が顕著になり始める。
まず、汚物を食し、自己の性器に何本も釘を打ち込み、肛門にオイルを染み込ませた綿を詰め込んで着火したりするマゾヒストの一面。
しかしもう一方でサディストの一面を有し、恵まれない家庭の児童を中心に攫っては、拷問具を用いて暴行・殺害。食べるために殺された児童もおり、「子供の肉を柔らかくする為、子供達を縛り挙げ、半分に切られた釘が打ち込んであるベルトで子供達を鞭打ちした」とも後に語っている。アメリカ全土を放浪していた23年間で400人の子供を殺したという供述をしているが、16人殺害していることは間違いない。
Clandestine Blaze / Deliverers Of Faith_b0049940_663517.jpg犯行が発覚することになった、彼の犯行一連の過程も極めて異常。新聞の仕事募集広告を見た彼は、その広告を出していた18歳の少年宅を訪問。そこで一緒に暮らしていた10歳の少女に目をつけると、両親を信頼させ、パーティーに連れて行くという名目で誘拐。少女が帰宅することはなかった。そんな日から6年経過後、少女の両親に、少女の殺害状況や、「細かく切り刻んだ上、オーブンで焼いて食べた / お嬢さんは処女のまま死にました」という手紙を送りつけたことがきっかけで逮捕された。
殺害は神の意思である等とも供述していて、精神異常性を弁護側が強く訴えたが死刑判決が下る。1936年電気椅子により刑執行。

Klaus Barbie

Clandestine Blaze / Deliverers Of Faith_b0049940_8231340.jpg1913年・ドイツ生。
1933年・第一次世界大戦中父親を亡くした彼は、大学にいけなかった代わりにSS(親衛隊/ 階級は中級)に参加し、そこで調査・尋問能力等を培う。
1942年にGestapo(IV/秘密警察)の隊長としてユダヤ人の移民先となっていたフランス・リヨンに派遣され、”リヨンの虐殺者”という異名を得るほどの残虐/犯罪行為の限りを尽くした。
Izieu に隠れていた3歳~13歳の41人のユダヤ人を、運送中に逃げようとすれば目耳鼻から血が流れ出るほど暴行し、後にアウシュビッツ収容所に送り込んだ上、毒ガスで殺害した(書面にサイン)のはかなり有名。他にも反逆者、その周辺者を次々に拷問・殺害し、死者は数千にも上る。
Clandestine Blaze / Deliverers Of Faith_b0049940_8321488.jpg第二次世界大戦終了後はその能力をイギリス・アメリカに買われて保護され、55年までは諜報部員として活動するも、その後はボリビアに逃亡して麻薬の密売を行なって生きていた。83年に当局によって逮捕され、87年に裁判が始まったが、異例にも、この裁判の映像記録が残されることになった。左翼的な弁護士の力強いサポートを経て”人道に対する罪”の罪状が争われたが、結局終身刑が下り、77歳・ガンにより刑務所の中で死去した。

Marc Dutroux

1956年生。ベルギーの犯罪史上に名を残す極悪犯罪人。
71年に両親が別居し、母方についたが16歳のときに母元からも離れ売春斡旋営業を行なっていた。その後は車の窃盗・麻薬の密売で逮捕・起訴されて実刑(13年6ヶ月)が下ったが模範囚として3年で出所。しかし、中身は全く改心しておらず、その後は政府の扶養手当を得つつ、複数の家を用い、中には地下に幽閉所を造り残虐な犯罪を後に行なった。
Clandestine Blaze / Deliverers Of Faith_b0049940_23572467.jpgまずは、8歳の少女2人を誘拐しビデオ撮影しながら数度強姦。この二人の少女は後に餓死。次に17歳と19歳の少女を共犯者と共に誘拐したが幽閉所がいっぱいであったため、違う家にてベッドに縛りつけ殺害。(死因は餓死/この共犯者も死体で発見されたため、殺人の嫌疑が同じくかけられるも本人は否認) 窃盗の容疑で家宅捜索を受けたりもしたが、そのまま犯行を継続(12歳の少女を誘拐)。しかし、14歳の少女を誘拐した際の目撃証言がきっかけで逮捕されたが、彼の証言を得るまでこの幽閉所の存在に警察も気づかなかった。(12歳・14歳の少女は無事生還)
2004年に裁判開始。殺人・殺人未遂・誘拐・誘拐未遂・窃盗・強姦罪の訴因で起訴され、全ての罪が認められるもベルギーでは1996年に死刑制度が廃止されたため、終身刑が言い渡されることになった。

# by BURZER | 2006-06-08 08:11 | 番外(Metal)
Deathspell Omega Interview (後半)
彼らのインタビューの翻訳は容易ではない。難解な語が並ぶからというのも理由の一つであるが、何より彼らはその文章に"暗示"を含ませる。これはすなわち、言葉を一つ一つ慎重に選んでいかなければ彼らの意図する意味が表に出てこないことを意味する。依然100%の翻訳ができているとは到底思っていないが、しかし、脳みそが引きちぎれる思いをしながら、"化石"を一つ一つ丁寧に取り出したつもりである。では以下、後半部分を載せることにする。
Deathspell Omega Interview (後半)_b0049940_199240.jpg
Desthspell Omegaが採る (現在Black Metal界で一般的に) 支持された思想に対する方法論としては、”正統/オーソドックス”,”忠実 / 厳格”あるいは”狂信的” という言葉のどれが当てはまりますか?>

事はそんなに単純なものではないよ。君も知っているように、Deathspell Omegaは、我々が 一神論的な流儀、さらには正統派的あるいは厳格で異なる流れを汲むという多種のルーツを明確に有しているという事実があるにもかかわらず、宗教的で哲学的な利害関係を有する(狂信的)ものを取り扱っており、それらの語の内のいずれか一つに明確に位置づけられるという偽った主張をすることはできない。
サタニズムあるいは悪魔崇拝というのは、「もう一方(の世界/次元)にあるただの一神教の宗教」であるかの如く明確にされた信仰物ではないんだ。よりよく言えば、それらは、現時点においては、キリスト教徒の流儀のためだけに存在する聖書といったような、書物のための書籍として存在するわけではないということが明らかになったにすぎない信仰物なのさ。(万人間で)最高の(権威を有する)参考文献になるであろう単体書籍、聖書がその例であるが、などは存在しないということは、我々が(歴史上)引き継いだ遺産のほんの小さな部分(的事象)でしかない。
実際に、古きユダヤ教の宗派から不可知論者まで、キリスト教に対するアウグスティノ修道会の聖者の接近から、急進的なワッハーブ派信徒(イスラム教)の冊子までの全ての宗教的文献は、物事を見る「目」を有する人々のためにあちらこちらにばらまかれた精神的「真珠」を”最終的に”見つけ出すために、我々が気づくべきただの断片である。結局は、伝統主義と確定主義というのは我々が永遠に保守することができる見地ではないということを意味する。それらは”その当時(一時的)”において通用するということだ。

宗教的なテーマを主題にし、明確にサタンに傾倒するBlack Metalバンドの中から偶発的に立ち上がってきたことに、他バンドとのある種の類似性を感じずにはいられないのですが、単なるアンチ-キリスト教的感情を超えた次元(差)につき説明して下さいませんか?>

私はあえて新たな(Black Metal)世代だと言おう。世界中に存在するある程度の人間がより現実的にその境界線を破壊しようとしている。おそらく、ここにもあそこにも、かつて”一度も”完成されることのなかったものの灰からBlack Metalを真に具現化する、その意思と理解を得ている人間がいるんじゃないのか?ひとつ言わせてくれ。Black Metalが有する潜在的なものはいまだ実現されていない。今日のBlack Metalは芸術性に欠ける反面、もっぱら”音”をコピーするのみで、姿勢も思想性も無い。一体どうやってBlack Metalが完成できたというのだ。
誤解しないでくれ。伝統というものには確かに妥当で有効な側面を有している。だが伝統に代わるものがなく、誰にでも開かれたものとなってしまったとき、それをよどみという。そして、よどみとはすなわち、芸術が死んだに等しい。文学活動がこのような腐敗した段階に達してしまったならば、嘲り笑われ、愚かなものとして数年のうちに内側から消え去ってしまっただろう。

このような洞察力のない者が陳腐なアンチキリスト教感情に走ってしまうことは何も驚くべきことではないよ。そういった感情というのはただの原始・初期的な反抗期の兆候なのさ。それは10代の頃に全ての人間が通過/経験する時期というものなのでは?
現在の教養的且つ宗教上の模範を否定することは単なる論理的活動であるが、その否定の裏に何も無いのであれば、私は暗に意味する知的深遠世界の本質をわざわざ指摘する必要はないんじゃないのか?

Black Metalでいうところの“正統派”という概念は、とくにスウェーデンにおいて拡大/成長している、そう思いますか? もしもあなたが、サタンに対する信条を抱えることを”正統派”と呼ぶのであれば、あなたが思う”正統”という概念につき話して頂けますか? また、信条を公言することであなたは、反対の立場に立つという以外に、何を成し遂げたいのですが?>

我々がスウェーデンのバンドの代弁を果たすことはできないな。

“正統”という言葉の背景にある主要な暗示というものは、宗教的且つ、形而上学的次元における神聖なるサタンの本質、悪魔崇拝対象の位置に関する深い認識についての誇らしき陳述であると言わせてくれ。だが、現在まかり通っている”サタニズム”というものは、自身をその真なる次元へ立ち向かおうとさせない代わりに、”イデオロギー”という安易な言葉を用いて逃げているだけの、恐ろしいほど低次元な品物さ。

信条を公言すること、いやむしろ真なる”信念”が暗示する探求道上に置かれた異なる種々の石を描写することは能動的であることと同義であり、それは精神的進化や(そこで生じた)利益と損失を証言することになる。上で述べたように、最も素朴な虚無主義的感情を抱こうと欲しない限り、(単なる)否認というものは初期段階(“反抗期”)以外の何物にもなり得ない。

“正統派”というテーマで話を続けますが、では一体どのバンドがこの流派に当てはまると思いますか? 多くのバンドが自身は正統派であると主張するだろうとは思うのですが、では一体どうすればそれら”正統派”でありたいと願うだけの偽物と真なる後継者-”正統派”のバンドを判別することができるのでしょうか? また一体誰が本物であるか否かを判断する権利を有しているのでしょうか? 皮肉にも2,000年前に”異教徒”の中から”正しい”ものはどれかというものを反映する宗教上の議論が行なわれたわけですが。

この件に関しては、基本的にはBlack Metalを芸術的なものとして崇めたい者の間で(高貴な言語的感覚でもって)行なわれる (私がここであえて言おうとしている”全て”を真に理解するための鍵/手引きとしての芸術。悪魔というものは”芸術のための芸術”として知られている、鍵の内の一つである。) 議論かあるいは、Black Metalを依然単なる娯楽物としてみたい者の間で行なわれている議論である。我々がこの最後の方の議論をとてつもなく嫌っているのは言うまでも無い。

Deathspell Omega Interview (後半)_b0049940_4101897.jpg実際に君は恐らく、バンド側がどのようなことをしたらいいのかという分析は十分なされているものの、もう一度人々のために、”正統派”という言葉を過度に強調しているのだろう。
しかしながら、Black Metalという枠内で君の質問に答えると、Norma Evangelium Diaboliに関連する全てのバンドは、真なるものを”探求している”人々にとっては価値ある何かを有しているよ。

Deathspell Omegaは公衆との関係につきとても厳格な立場をとっているわけですが、それではどのようにして、あなた方とは異なるように思える主義を有しているように見えるClandestine BlazeやNorthern Heritageと共同することを選んだのですか? 将来的に他のバンドとのSplit音源をもリリースされるつもりですか?>

Deathspell Omega Interview (後半)_b0049940_4143727.gif我々はMikko A氏が我々ととても近いものを持っていると知った後、彼と共同することにした。君も知っている通り、彼が普段使うレトリックは宗教的な様式にはほど遠いが、しかし彼の知的な落とし方の手法はたとえ、異なる洞察視点で始まり、異なる事実の公式で結論付けられたとしても、我々のそれととても似たものがある。彼は残虐なものをごく自然に受け取ることができ、また、ここではベールを明かさないが、とても残虐的な自然上の事柄に対する魅了と認識を真に共有することができる数少ない人物なのさ。我々が探求するものの答えや衝動というものはしばしば予期せぬ場所や人々から出てくるものだと言うべきだ。”精神的”(な物を共有できる)パートナーをついに見つけるに至ったのも、この一例さ。

Deathspell Omega Interview (後半)_b0049940_18351867.jpg Split音源のリリースに関しては、そうだな、2004年の間に君はこの2枚のSplit音源を手にすることになるはずだ。1枚目は、Northern Heritageで大分昔から企画していた-“Crushing the Holy Trinity”というもので、Splitでのリリースではなくコンピレーション的なものになるにせよ、ようやく現実のものとなるときがきた。我々は女家長や堕落した化身に代わる神聖なもの,創始者の典型(“Father”)の存在に纏わるエッセイに基づいた長編曲を提供することにした。(ところでこの曲はGeorge Batailleの短編物語の話の一部分に基づいている。) 皮肉にも、これは現代の西洋社会を描写したものでもあるのだが、他のものについて話している。二枚目はMalicious SecretsとのSplit-10”でのリリースするのだが、まだ詳しくは明かさない。

あなたがたはBlack Metalというジャンル外の音楽や以前から存在しているバンドからインスパイアされているであろうと思っていたのですが・・・>

それは間違いないよ。我々は皆、Black Metalというものは当時”すでに”神聖なもので熱狂的になったものでもあった、そう思える期間を通ってきているが、私は90年代当時にはレコードや限定的なリハーサルテープですら制作したとは思っていない。というのも、終わりなきものから脱するには我々自身が望んでいたこの芸術という形をとるもの全てに関するものを見聞きする必要があったからだ。Deathspell Omega Interview (後半)_b0049940_417593.jpgついには、Euronymousのような潜在性ある者は自由、そして、長年具現化”されることのなかった”ロゴス”を解く鍵としての宗教的次元性に関する文言を前文に付する権利ある者として強調されていたことに我々は気づいた。これ以上弁解しない方がよいのだが、実験、とりわけ並行的に探求した哲学、神学、文学、映画といった分野を強く打ち出したものは醜い失敗作に終わってしまったことをも我々は認めなければならない。長い物語を短くしようとする技巧や教養、これら全てがBlack Metalを全く平凡で薄っぺらいものにしてしまったと言っておこう。(一般的な)Black Metalが抱える主要な欠陥というのは、正確にいえば一方面的に影響を受けていて、それ故、Black MetalあるいはMetal(音楽のジャンル)という限られた視点しか有していないことだ。そこで着眼している観点というものは存在しないに等しい。

我々が目指す終着点というのは、すでに強調した通り、難解な精神領域に立ち向かうことであり、そこは明らかに、未発達で知的構築されている途中のBlack Metal事象とは起源を異にする、我々の熟考を煽り立てる要素、その集合体に近い暗黙の世界である。しかしながら、例えばここではMalignと名乗っているが、このジャンルの頂点に立ちつつも、他の領域と同程度に真理についても光をあてていこうというバンドとしての視野を有していることは言うまでも無い。

あなたがたは限られた世界に存在する”他のトレンド”として見受けられる少数Black Metal組織内での活動に関わっているのですか?>

いいや、全く。私は、多くの人間に理解されることのない”真理”を語る賢人らが果たして何人いるのか、数えることはできないし、”進化”という信念に基づく彼らの陳述を言及することもない。それが万人平等主義というものであり、集団-Black Metal集団の所信を気遣う我々の人道なのさ、そう思わないか?

SMRCのアルバムの文脈内で結構な量でラテン語を用いていますが、これはなぜですか?文脈内ではギリシャ語やヘブライ語よりもラテン語の方が重要ですか?>

実際に我々はいくつかの古いギリシャ語をブックレットに使っているが、しかし、ラテン語という言語に強く焦点をあてている。ラテン語というのは カトリック教会から万能の言語として崇められていたし、我々もその言語を用いることで、礼拝的な文脈に変化し、あるいは、数世紀の間で教養的エリートのための言語になっているという点で使用することに近親感を覚えるというのも否定できないことだ。我々のうちの何人かは現に、ヘブライ語、アラマン語、あるいは”黙示録”に見受けられ他の中東欧の種々の言語に通じており、将来的に多くの言語を用いる扉はもう開かれていて、必要なときがくればそれらを用いることになるかもしれない。我々はいつも、ロゴスの猊下部分的なところを際立たせるように励んでいる。

アルバム毎に一体何人のDsOのメンバーが参加しているのか非常に興味があるのですが、全員で作詞・作曲なされておられるのですか?それとも、多くのバンドみたいに、一人の人間のビジョンによって動かされ、後のメンバーが各々の単に演奏に励むのみなのでしょうか?>

衝動はあらゆる場所から生じるものであり、Deathspell Omegaの各パートは一定ずつ進化-前進といおうか-し、deus ignotusを経たことに基づく新たな経験が今でも絶えず積み重なっている。毎回、妥当な結論に到達しても、創造的な段階において、(導かれた結論は集合物の)一部として寄与し、そこに溶け込むことになる。:個々の「細胞」は暗示の程度を区画する、生産性/的とでも言おうか、機能を有し、集合的に偉業を成し遂げることになる。
しかしながら、一つの端的な言葉でも出来事の成り行きを変えるための”啓示”として十分機能することができる点を鑑みれば、全ては関連しあうものであり、結局は”瞬間の加護”という概念を単独で示しうる要点である。

あなたがたは宗教的養育を受けてこられたのですか?もしそうでないならば、何が悪魔を慕う状態にさせたのでしょうか?>

我々のうちの何人かは宗教的教養を受けていで、これらの者は明らかに 全てを否定する(虚無主義)という初期の段階を経てきている。他の者は合理主義下で成長してきた。我々皆が“神仏顕現”を打ち砕く経験をしているということを理性的な用語ではとても説明することができない。勿論、文化人的な話し合いもする。西洋世界に存在する多くの大学は人道且つ平等主義の本拠地的な場所であるという事実があり、長い大学生活を過ごす者は皆要地を与えられているわけだ。多くの者達は現代の”文化的風潮”を追いかけ続けることを好み、またそれを勤しんでいた中、我々はそれらの要地を無視することはなかった。子供の頃から人の命を絶するという徴候もあった:死という視点でみることが本当に楽しかった。とりわけ、マニ教でいう知覚を理性化する前に人間の精神的苦痛を取り除く点に関して。本当に馬鹿げているが、しかし、我々の若き頭脳に影響を与えたであろうMetal音楽のようなサブカルチャーに接する以前に、現に悪魔に対して感じている”愛”と”敬慕”がどれほどあるのかを気づかせた、悪意ある手によって蒔かれたこれらの種-徴候は実に貴重なものである。

現在の流行について話すことは面白いのかもしれないが、しかしその流行はもう一方で人間を誤らせ、真に救済してくれる道を与えてくれるかのような、正反対の方向に向かせてしまう道具でもある。(例えば、聖アウグスティヌス的キリスト教の名を挙げることにしよう):現代の”文化的風潮”というものは、煙突を吸うこと、ないし、強制労働収容所ともいえる宿り身の肉体に関する人間の苦痛が集結した聖堂が絶頂に達しているものだ。この上手く仕組まれた”文化的風潮”の業績とはまさにはそれさ。Adornoがいう、”文学を殺している(道具)” (この陳述に含まれる砕かれた裏の意味について数秒考えてくれ) しかし、悪魔の加護に呪われた人々にとっては(“Fas”を覚えておいてくれ)、それは「神学者のための栄光の時代、“deus/diabolus absconditus” の勝利」という論理的結論をより強めるだけの些細なベールでしかない。

アルバム/“Si Monumentum Requires, Circumspice”はとりわけ聖書のテーマ/書物からインスパイアされたものがあると言えますか?>

Deathspell Omega Interview (後半)_b0049940_19205913.jpgそれらが唯一の情報源であるというのは誇張が過ぎるだろう。前にそれとなく話したように我々は単体ではなく、より良く言えば、究極的な(様々な)ものを参照対象源にしている。カトリックや他の一般的なキリスト教学というものは我々が受継いだほんの些細な部分でしかない。“道徳性”に限定されていることなく、好意的あるいは劣悪に冒す内容だけでも生きたものとなるわけだが。といいつつも、”SMRC”に用いた参照源の大部分はキリスト教の書物であるというのは事実だ。だが、ローマ教教皇庁からは異教であると主張されている品物だ。ローマ教教皇庁もその書物の鋭さと正確性に危険性を感じ、むかつきを覚えていて、そんな書物故我々も受け入れた。

Sola Fide Iの曲中にある「The heart of a lost angel is in the earth」という一文とジャケットカバーが有する関連性についてお聞きしたいのですが・・・>

強い関連性があるよ。君も気づいている通り、これらの少なき言葉がジャケットカバーのほぼ全てを説明している。

あなたの有する信条はAleister Crowleyの作品から何かしろの影響を受けているという部分はありますか?他の儀式/魔法的なもの:Church of Satan・Temple of Set・Order of Nine Angels・数々の安息の聖伝・Ophidian/Typhonian等からの影響はどうですか?>

Deathspell Omega Interview (後半)_b0049940_4241370.jpg影響を受けたかどうかはよく分からないな。そういった類の書物に通じるというのは早期の段階に我々が成し遂げるべき仕事だったが、そこからは表面的・失望という強い感情を抱く以外得るものは何ら存在しなかった。それらは主に、議論が結論を形づくる(ある事実とおもしろき修辞法の発揮の下で上手く働く上品な手法)かわりに結論が議論を形づくる(ここでは全てが失敗に終わる)という下品で、偏見的で不完全なごまかし手法を通して事実を再解釈していることや、一般的教養の無さを哀れにも露呈している。結局は”迷信/邪教信仰”と” 形而上学/難解な精神世界”との間にある膨大な差が如実に表れているのさ。これらの類のものは現在の”文化的風潮”のみから発生するものであり、どれほど古代の(そしてしばし、想像上の)伝説の型を模倣しようとも、現代の卑劣な新時代的”知覚上のパラグラム/枠組み”とほとんど違いはない。

フランスは異端という点では豊富な歴史がありますよね。代表的人物を挙げると、Gilles De Reis・Baudelaire・Huysmans・Bataille・De Sade、他にも省略しますが多くの人物が存在します。こういった人物の中であなたがたに影響を与えた人物というのは存在しますか?>

彼らは皆聖堂に「石」を多かれ(Georges Bataille) 少なかれ(驚くことに、Gilles de Rais)寄贈していたよ。しかしながら、我々はこれらの(本当に輝かしき)人物の話しにとりたてて集中すべきではないな。というのも、君も認識できると思うが、彼らが論争した雰囲気や名声が先立ち過ぎて、しばし彼らの果たした具体的な貢献の影を薄くしてしまう。多くの反キリスト教のポスターを刷った人々やマルクス主義の哲学者達は実際に”真理”の儚さと同様、人がそこに迷い込んでしまうのみである点を指摘した。信じがたい文学が“生まれた”Fin-de-SiEcle Vienna/世紀末”、あるいは、大学の歴史調査の名目でアングロ・サクソン支配の事実を完全に隠されていた50年間がその例だ。

フランスはSatanic Black Metal世界がアンダーグラウンドで急速に広がっているようですね。Lords of Chaosという書物内にフランス、そして犯罪の歴史に関する記述がある程度あります。この度、新たな版が出版される予定なのですが、フランスのBlack Metal界の新たな情報はそこには殆ど追加されていません。 YHVH(ユダヤ教参照)の規律との戦いにつき、アンダーグラウンドシーンは今現在どのような状態にあるのですか?>

正直に言うと、まず、我々はフランスBlack Metalシーンの証人になることはできない。なぜならば、我々の”modus operandi /手口”は本質以外除外し、動詞の、君が好まくば、一般的な言語の超越的な連鎖によって、孤立的になっている(一般的なBlack Metalとはそもそも起源が異なる)からだ。希少な例を述べると、アンタイオス/Antaeusがこの言語を共有している。しかしながら、この話題に関しては、我々が表現できる次元を超えているものであると君は理解しているだろう。

最後は聖書からの一説で締めくくりたいと思います:”Then the Lord saw that wickedness of man was great in the earth, and that every intent of the thoughts of heart was only evil continually.” (創世記6章1-8節) >

それは我々の参照文献でもあるが、しかし多くのうちの一つでしかない。その引用は、絶対的で究極的なもののために生じる典型的な内なる争いを描写している。卑俗にも簡略化されてはいるが、しかし、その一文には多くの真理を含んでいるよ。

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# by BURZER | 2006-06-06 06:06 | Deathspell Omega
Nykta Productions

Nykta Productions_b0049940_1249754.jpg












# by BURZER | 2006-01-21 12:51
Pest (Fin) / 気になったこと
今回の記事は個人的に気になったので普通に調べてみたというただそれだけのものだけれども、公開することに多少なりとも意義があると思ったのでここにアップする。
まずこちらの写真を拝見して頂きたい。
Pest (Fin) / 気になったこと_b0049940_15254518.jpg

この写真を見ただけでピンときた人も多いだろうが、そう、Satanic Warmaster等のメンバーがかつて在籍していたバンド-PESTの写真である。(ちなみに左からIscariot,Satanic Warmaster,Nigrantium)
この写真の何が気になったかというと、ずばり背景に映っている墓らしき石碑。キリスト教徒のお偉い方の墓の前で暴れているのだろうと予想しつつ少し調べてみた。

Pest (Fin) / 気になったこと_b0049940_1551559.jpgまず左の石碑に刻まれている「Juho Lalluka」という人物から簡単に紹介していこう。Juho Lallukaは端的に言えば、混沌としていた当時のフィンランドにおいて、その文明開化に大いに貢献した人物である。様々な職に従事し、町議会の議長・国会議員・青年協会の設立者・田舎の劇場の協会の取締役委員会・実行委員会の議長と多岐にわたり活躍していたが、1913年に他界(享年61歳)している。
Pest (Fin) / 気になったこと_b0049940_1552554.jpg次は右の石碑に刻まれている「Maria Lallukka」。Maria Lallukkaはその名前から想像できる通り、Juho Lallukaの妻である。Juhoの死後経営を全て引き継ぎ、これがまた成功を収める。そして彼女が稼いだ富を死後、半分Vyborg図書館の設立する遺言を残し、きちんと実行され、現在に至っている。多少答えが見えてきているとは思うが、これらの人物がなぜ重要人物なのかについて今から述べることにする。

この二人は様々な事業活動で多くの富を築いており、最終的に12か条の遺言を残している。そして、この遺言状に大きな意味が隠されているのである。
Juhoがフィンランドの文明開化に貢献したと述べたことにも大きく関わるのであるが、Juhoらは混沌とし、将来性が不安定なフィンランドにおいて明確なビジョンを有していた。すなわち、「芸術こそがこのフィンランドの礎となる」という強い信念である。そのために、Juhoらは、芸術家が家や食料に心配したり、周りからの圧力・妨害がなされることなしに、その能力を十分に発揮し、あるいは発展させるための場所が必要であると考えた。そして、その設立費用に遺産を充てるという条項を遺言状に残したのである。

Pest (Fin) / 気になったこと_b0049940_16191397.gifその意思を引き継ぎ、1933年にEtu-TöölöのApollo rocksの頂上にその"場"となる建物-Artists’ Homeが建てられた。 ここでは、年老いた芸術家であっても追い出されることなく、その芸術能力を発揮する場を提供し、ひいてはフィンランドの芸術文化を支える場として今日においても機能しているのである。

ということで、私的考察の結論であるが、PESTの連中は「 Black Metalも芸術だ 」という、そんな感じで功労者の前で暴れていると予想され、自分の仮定は見事に外れていたようだ。フィンランドからはぞくぞくとバンドが出現しているが、そういうお国柄となった契機はおそらくここにあるのだろうと妙に納得した。こういうモノ創りの国は滅びることはないだろう。

# by BURZER | 2005-12-24 16:27 | 番外(Metal)